それはあの冒険家「植村直己」とともに、1970年に日本人初のエベレスト登頂を達成した「松浦輝夫」が、1981年に早稲田大学登山隊隊長としてK2に挑んだ時のものだった。
(エベレスト登頂の際、先を行く植村直己は頂上直下で、「先輩、お先にどうぞ。」と年上の松浦輝夫に日本人初登頂の栄誉を譲ろうとしたが、お互い譲らず2人一緒に登頂したとされている。)
しばらく家に飾っていたが、転居とともに所在がわからなくなってしまった。
昨年(*2015年)同氏の訃報がニュースで流れたとき色紙のことを思い出し、あらためて探してみると飾り箪笥の中でアルバムに挟まれているのを発見した。
「さて、これをどうしたものか…」
今まで忘れていたものであり、これからもどうなるかわからない。どこか引き取ってくれるところを考えた。(日本山岳会、府岳連、登山用品店等々・・・)
結果、同氏の出身校である早稲田大学がいいのでは・・・と思い、ホームページを検索すると早稲田大学山岳部の部員募集用アドレスがあったので、用途違いではあるが事情を付してメールしてみた。
半日ほどして、「貴重な申し出をお受けしたい。」という旨のお礼と送り先住所が返信されてきた。2日後色紙を郵送したが、長年の宿題を終えたような気がした。
登山を愛する若者達のモチベーションとなれば幸いである。 (敬称略)
ホームページ開設によせて(会報YAMANBA 2016年4月号より) mhy-shiba

しばらく家に飾っていたが、転居とともに所在がわからなくなってしまった。
昨年(*2015年)同氏の訃報がニュースで流れたとき色紙のことを思い出し、あらためて探してみると飾り箪笥の中でアルバムに挟まれているのを発見した。
「さて、これをどうしたものか…」
今まで忘れていたものであり、これからもどうなるかわからない。どこか引き取ってくれるところを考えた。(日本山岳会、府岳連、登山用品店等々・・・)
結果、同氏の出身校である早稲田大学がいいのでは・・・と思い、ホームページを検索すると早稲田大学山岳部の部員募集用アドレスがあったので、用途違いではあるが事情を付してメールしてみた。
半日ほどして、「貴重な申し出をお受けしたい。」という旨のお礼と送り先住所が返信されてきた。2日後色紙を郵送したが、長年の宿題を終えたような気がした。
登山を愛する若者達のモチベーションとなれば幸いである。 (敬称略)
ホームページ開設によせて(会報YAMANBA 2016年4月号より) mhy-shiba